2004年

ーーー10/5ーーー 天動説

 近頃の小中学生の中には、太陽、星といった天体が地球を中心に動いていると理解している子供たちがいて、その割合が馬鹿にならないほど多いと報道されていた。

 現代の科学では、天体が動いて見えるのは、地球の自転と公転の相互作用だと説明している。物理学の専門家の中には、地球を中心に考えてもよろしいとする理論を唱える人もいるらしいが、一般的には天体が動いているのではなく、地球が動いているから天体がそう見えるのだという説が正しいことになっている。

 学校では「正しい科学」を教わっているはずなのに、子供たちの一部は天動説のような理解をしているというわけだ。教育の成果が上がっていないと嘆く向きもあるだろう。しかし、日々の生活の中で天空を見ていれば、確かに天体の方が地球の回りを回っているように見える。いや、それ以外の見え方はないとも言えよう。

 これに関連してある出来事を思い出した。何年か前になるが、8月の終わりに木曽の御岳山に登ったことがある。頂上の宿舎に泊まって、翌朝御来光を見た。その朝の天気は、過去私が山上で経験した、最も完璧な快晴の一つであった。

 東の空が次第に明るくなり、もうじき太陽が顔を出しそうな気配になった。山頂に集まった人々は、最初の光が現れる瞬間を待っていた。つまり日が昇るのを待っていたのである。しかしそのときの私はふと、日が昇って来るのではなく、私達の立っている場所が前のめりに太陽の方に向かって動いているのだと感じた。

 山の頂上で見る御来光は、それまで何度となく経験したが、そのような感覚を抱いたのは、その時が初めてであった。

 日の出は太陽が昇って来るのではなく、自分の立っている場所がそっちに向かって回転しているのである。日の入りは逆に、太陽が沈むのではなく、自分が太陽から遠ざかるようにして回転しているのである。そんなことは当たり前だと言われるかも知れない。

 しかし、この大地が地軸を中心に永遠の回転運動をしているという神秘を、科学知識の助けを借りているとはいえ、身をもって感じるという体験は、やはり霊峰御岳山の山頂ならではのことであったのか。



ーーー10/12ーーー 中学の音楽会

 
中学校の文化祭のプログラムの一つである、音楽会を見に行った。中三の娘にとっては最後の文化祭である。

 音楽会では、一年から三年までの全てのクラスが一曲ずつ合唱を披露する。その出来映えによって、学年毎の金賞や、全体を通しての最優秀賞が選ばれる。子供達にとっては、かなり気合いが入るものらしい。練習に多くの時間をかけていると聞いた。

 どの合唱も素晴らしいものだった。大いに楽しめたが、それと同時に中学生も随分進歩したものだと驚きもした。

 合唱が、ちゃんと表現になっているのである。不完全なところはあるにしろ、強弱や緩急の変化を付けて、自分たちの表現をしようという意欲がはっきりと感じられた。また、指揮もピアノ伴奏も中学生がやるのだが、これがまた実に上手だった。しかも男子の数が多いのである。私が中学生だった頃は、音楽は女子の独壇場であった。男子にはピアノが弾ける子も少なかった。ましてや、指揮などという、音楽表現の本質に係わることなど、男子にとっては考えられないことであった。

 今から36年前の時代と比べること自体、滑稽なことかも知れないが、子供たちの音楽的能力は確実に上がってきているのだと思う。これも豊かで平和な社会の恩恵の一つであろう。

 ちなみに最優秀賞は娘のクラスが受賞した。審査員の先生の一人は「聞いていて涙が出そうになった」と語ったそうである。
 


ーーー10/19ーーー  N響のアシュケナージ

 ウラディーミル・アシュケナージ氏は、私が最も好きなピアニストの一人である。高校生の頃にラジオで聞いた、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番が、氏の演奏との出会いであった。強烈な印象を受けたことを覚えている。その演奏のレコードは、現在でもしばしば我が家でかけられる。子供たちのお気に入りの曲目にもなっている。

 そのアシュケナ−ジ氏が、N響の音楽監督に就任した。楽器奏者が指揮者になるということは、珍しいことではないが、氏の場合はどうだろうと思った。

 ある晩、NHKの番組で氏が指揮するベートーベンの交響曲第六番を聞いた。はっきり言って、がっかりした。会場には空席が目立った。氏のピアノリサイタルなら、必ず満席だったろう。演奏の出来映えも考え合わせると、指揮者としての評判があまり良くないことがうかがわれた。

 一昨日のN響アワーでは、ベートーベンの「運命」が演奏された。前回の悪い印象があったので、あまり気が進まなかったのだが、ファンとしては見届けなければならない。
 
 ところが、これは素晴らしい演奏であった。やはり空席が目立ったが、それはその晩の台風のせいだと解説者は述べていた。台風のせいだけではなく、前評判が良くなかったせいではないかと私は思った。ともあれ、その晩にコンサート会場へ出向いた人たちは幸せだったと思う。これほど素晴らしい演奏は、なかなか聞けるものではない。

 同じ指揮者で、どうしてこんなに違うのかと不思議に感じた。おそらく楽団との呼吸が合ってきたのだろう。アシュケナ−ジ氏の指揮の一つひとつの動きに、楽団がピタリと呼応しているところが、印象的だった。

 指揮も素晴らしいが、楽団も立派なものだった。N響は世界的な交響楽団になったなどと、数年前から言われているが、この日の演奏を聞いて、それもうなずける事だと感じた。



ーーー10/26ーーー 飲み会の私

 ある店で知人と酒を飲んだ。夜もふけた頃常連が集まり、賑やかになった。初対面の人もいたし、非常にテンションの高い人もいたので、私は傍観者となってただ聞き、眺めていた。楽しくなかったわけではないが、若い頃の自分を思い出して、少し寂しくなった。

 会社員時代は、酒の席では大騒ぎの私であった。早いピッチで盃を重ね、ワ−ワ−ギャ−ギャ−騒いだ挙げ句の高歌放吟、しまいにはテーブルに飛び乗ったり、鴨居にぶら下がったり、それは甚だしくしくデタラメであった。仕事時間には目立たない男が、酒の席ではヒーロー気分を味わった。

 今の仕事になって、人と酒を飲む機会がめっきり減った。それに、一人っきりの仕事なので、日常的に話をする相手がいない。話題の素材にも出会わない。話をするのが随分下手になったと思う。いや、話をすることに慣れなくなってしまった。話題を提供することもできず、人の話を聞いてもノリの悪い自分が情けない。職人は無口で偏屈だというのが相場だが、私もそこに至るプロセスをたどっているように思えて、少々寂しい。

 それにしても若かった頃、飲み会での私の傍若無人な立ち居振る舞いに、不快な気持ちを抱きつつ、じっと我慢していた人たちもいただろう。いまさらどうしようもないが、それを思うと赤面の至りである。




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